国立科学博物館で「企画展『過去5万年の時をはかる』」を見てきた

去る9月某日、国立科学博物館で「企画展『過去5万年の時をはかる』」を見てきたので、そのメモ。

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展示内容

簡単な要約:「過去5万年分の“時間のものさし”が、福井県水月湖湖底を研究することで得られた」

背景その1: 年縞と水月湖

一般に、海底や湖底には生物の死骸や泥などの堆積物が降り積もっている。このような堆積物は、通常の湖や海では生物活動や水流によってかき回されてしまうが、場合によっては静かに積み重なり、断面に年縞と呼ばれる周期的な縞模様が現れることがある。

f:id:sobataro:20151006224848j:plain 図:今回の企画展で展示されていた、水月湖の年縞サンプル。

この年縞の縞模様は、季節による生物活動や気象条件の差*1によって引き起こされる。

背景その2: 放射線炭素年代測定とキャリブレーションの必要性

放射線炭素年代測定とは、放射性同位体である炭素14が、自然界にほぼ均一に存在し、かつ半減期が5730年であることを利用した年代測定法。ある生物の体内にある炭素14は、その生前はほぼ自然界と同程度の比率で存在するが、その生物の死後は新たな供給が絶たれて5730年ごとに半減していく。このため、任意の化石などのサンプルにおける炭素14の存在比率を調べることで、そのサンプルが何年前のものなのかを知ることができる。

ただし放射線炭素年代測定では、(1)自然界における炭素14の存在比率が均一であること、(2)自然界における炭素14の存在比率が時代によらず一定であること、などの仮定を置いているが、これらは実際には成り立たない。このため正確な年代測定を行うには、炭素14の存在比率とその年代との換算表を利用したキャリブレーションが必要となる。この換算表の作成には正確な年代が明らかな、“素性のよい”サンプルが必要であり、過去1万2〜3千年分については樹木の年輪を利用した精密な換算表が用意できていたが、それより古い年代については、年輪のような“素性のよい”サンプルが存在しないため、誤差の大きなものしか用意できていなかった。

本題: 水月湖と放射性年代測定

福井県にある水月湖では、周囲を山に囲まれ、水深が深く、かつ直接流入する河川もない、という環境に恵まれた結果、5万年分もの年縞が存在する。中川毅らの研究グループは、この水月湖の年縞をボーリングによって取り出し、縞模様を数えることで、正確な年代が特定されている“素性のよい”堆積物のサンプル5万年分を手に入れた。このサンプルから葉の化石を取り出し、炭素14の存在比率を調べることで、放射線年代測定に用いるためのデータセットを作成・公開した。このデータセットをもとに、より精密な放射線炭素年代測定を行うための換算表であるIntCal13が作成されている。この結果、“Lake Suigetsu”という名前はいまや考古学の分野で世界的に有名となり、水月湖のデータによる“年代測定のものさし”であるIntCal13が世界中で用いられるようになった。また、たとえば最後の氷河期が終わった年代は、従来は1万1650年±99年のことである、とされていたのが、IntCal13によって±34年まで誤差が縮小されるなど、従来よりも大幅に誤差の少ない年代測定が可能となった。

感想

本当は常設展をゆっくり見て回るつもりで、企画展はおまけ程度のつもりで最後にふらっと立ち寄っただけだった。…のだけれども、展示を見るとその内容が大変有意義であることがわかり、下記の書籍まで買って勉強してしまった。

一見地味な内容ではあって、企画展も「展示」というより「通路にとりあえずポスター貼ってサンプル置いてみました」という程度の扱いっぽかった (展示スペースが常設展のいちばん奥の廊下部分だった) のだけれども、この成果はたとえば下記書籍で以下のように述べられている通り、たいへん重要なものである。

太平洋の気候変動と大西洋の気候変動が、どちらもおよそ1万5000年前であることがわかっているとする。一連の大きな変動を反映していることはまちがいない。しかし、厳密にはどちらが早くはじまっているのだろう。変動が早くはじまっていれば、その地域は大変動の「原因」により近いことになる。気候変動の単なる復元や記載ではなく、究極の原因論に迫ろうとするとき、正確な年代測定は不可欠である。

また本postでは触れていないが、湖沼由来のサンプルと海洋由来のサンプルとの“素性のよさ”の違い (湖沼由来の方がよい) といった科学的な話や、研究者としての予算・ポストの獲得と純粋な研究成果の追求との相反のようなドキュメンタリー的な話など、下記書籍はたいへん興味深いものであった。

参考文献

時を刻む湖――7万枚の地層に挑んだ科学者たち (岩波科学ライブラリー)

時を刻む湖――7万枚の地層に挑んだ科学者たち (岩波科学ライブラリー)

*1:これは、たとえば季節ごとに異なる種類のプランクトンが発生したり、冬になると黄砂が飛んできたりするため